「千尋ちゃんてさー。好きな人いないの?」
「えぅ?」
給食も終わり、昼休みの時間。いつもと同じように友人同士が集まり、取りとめも無いお喋りを楽しんでいる中で、話題はいつしか好きな人の話に変わり、盛り上がりを見せていた。
思春期に入ろうとする少女達は、少年達よりも成長が早く、早熟で、異性を意識し始める時期も早い。小学校高学年にもなると、恋することに夢を見始め、異性の話題に触れるのは、当たり前の日常に変わり始める時期であった。
そんな中で、千尋も例にもれず、何気ない会話の中で『好きな人』の話に触れるようになっていた。
「わったしはー・・いないよぉっ!」
突然の質問に、千尋は顔を真っ赤にして答える。
男女の違いを意識し始め、恋という感情が何となく分かり始めた時期に、そうした話題に触れるだけでも、女の子にとっては勇気が必要であり、『恋』という言葉だけで過剰に意識してしまう。それでも恋愛話に花を咲かせるのは複雑な乙女心のせいである。
恥かしく、今まで極力そういった話題から避け、慣れていなかった千尋は、突然降りかかった質問と『恋』という言葉に、顔を真っ赤にさせずにはいられなかった。
「えー。怪しい。いるんでしょ!その顔は絶対!」
「ねー。皆、恥かしいのに好きな人のこと言ったのに、言ってないの千尋ちゃんだけだよ」
友人達がずいずいと「白状しろ」「一人だけずるい」等言って、千尋に迫る。 千尋が恋愛話に不慣れなだけだということを、誰も気づいていない。
しかも、他の人間は問い詰められた訳でも無く、自分から『好きな人』の名前を告白して、勝手に盛り上がっていただけなのだが、そんな言い訳は勿論通じなかった。取りあえず、他人の好きな人を聞き出し、評価することで盛り上がるのである。
「あぅぅぅぅ・・だって・・いないものはいないんだもん!」
迫り来る友人に圧倒され、振り払うように千尋は大声を出して返した。
「本当に?」
「でも普通いるよね・・」
「うん」
断言してもなお、疑う友人達に、彼女は「だっていないものはいないんだもん」と返すしかなかった。
「男の子見て、どきどきとかしないの?」
「しないよ」
「こう、いつも同じ男の子ばっかり、目で追っちゃうとか」
「何で?」
「胸がきゅーんとかしないの?」
「きゅーん?」
千尋のあまりにもそっけない返答に、友人一同から溜息が漏れる。
恥かしくて好きな人の名前を隠している訳でも無く、本当に好きな人がいないことが、今の質問で読み取れ、友人達は溜息をつくしかなかった。
「うぇぇぇぇ?なんでぇ?」
千尋にはその溜息の理由が分からず、ただ一人困惑する。
「・・・じゃあ、お父さんやお母さんより大切な人いないの?」
「おじいちゃんとか無しね」
「・・・・・」
いるよ。
お父さんとか、お母さんとか大切なのとかとは全然違う。
大切なひと。
大切な・・・竜。
結局最後の質問には答えず、授業が始まり、そして、下校時刻となった。 千尋は一人ぽてぽてと、帰り道を歩いていた。
「ど・・どうして皆・・す・・好きな人の話とかするのが好きなんだろう?」
青い空を見上げ、少し『好きな人』という言葉を口に出すのを恥かしく感じながら、千尋は一人呟く。
好きな人って何?
お父さんだって好き。お母さんだって好き。
ご飯好き。猫が好き。晴れが好き。
皆好きだけど、皆ちょっとだけ違う好き。
どきどきする好きもあるし、きゅーんとする好きもある。
いつも同じ男の子ばかり目で追う好き?
そこで千尋は首を傾げる。
ハクは・・。
ハクは男の子。竜だけど。
好きだよ。ハクのこと。
・・大切なひと・・・。
友人との会話で千尋は、ハクのことを言うことはできなかった。
今までにも何度か言いそうになったことはある。けれどその度に言葉が出ることは無かった。
何故か言えなかった。けれど何となく分かるその理由。
言ってしまったら夢になってしまいそうだったから。
油屋のこと。リンのこと。カオナシのこと。坊のこと。ハクのこと。
全てが泡のように消えていく気がしたから。 ハクとの約束が、夢になってしまいそうな気がしたから。
自分だけが持っている、自分だけの宝物。
あの不思議の町での記憶は、千尋にとって、そんなもののような気がした。
いつか会える。
きっとまた会える。